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文章を読まない人について少し書きます。
世の中には「文章を読まない人」がいます。読書の習慣がないとか、読解力がないとか、そういう話ではありません。自分に与えられた指示書や、手順書を意図的に読まない人の話。自分の強い意志によって、マニュアルを拒否する人の話です。

ずいぶん昔、開発会社に勤めていたとき、そういう人は少なからずいました。私が観察した範囲では、プライドが極端に高い人と、プライドが極端に低い人の二つのパターンがあったように思います。プライドが極端に高い人は、とにかくわずらわしいことが嫌いで、何かを「させられる感」を拒否。

プライドが極端に高いので、誰かから「指示を受ける」とか「命じられてやる」とかいうのが極端に嫌いだったようです。ですから、与えられた指示書なんて読むわけありません。読んで従うというのは敗北であるという信念を持っているわけですからね。言われたことは(言われたから)やらない、という人。

プライドが極端に低くて指示書を読まない人もいました。その人は少し難しい言い回しがあると「こんなに難しいものを読ませて、自分ができないことを笑うつもりだな。その手に乗るものか!最初から読まなければ、読んで理解できないという恥をかくこともあるまい」という思想のようでした。

その「思想」の内容はふっとんでいましたが、理屈は通っているように感じます。難しい文章は読めない→読んで理解できないと馬鹿にされる→馬鹿にされるのはいやだ→読まなければ理解できないことは表に出ない。という流れです。

以上、指示書を読まない二つのパターンがありました。プライドが異常に高い、異常に低い。でもどちらにも共通する点があります。それは指示書(あるいはやや難しめの文章)が当人のプライドを刺激するという点です。

もともと、指示書というのは何かの任務遂行のためのものです。それを読む人を見下したり、馬鹿にしたりするためにあるものではありません。何かの機械を動かしたり、仕事を前に進めるためにあるものです。でも、指示書を読まない二つのパターンの方々はそこにどうも思い至らないようです。

指示書が与えられたのは業務遂行のため……という考えず「これは自分を支配下に置くためのツール」と考えたり「これは自分を馬鹿にするためのツール」と考えてしまう。でも、そんなこと思って指示書を書いている人はいないでしょう。ここには深いレベルのコミュニケーションギャップがあります。

このコミュニケーションギャップを生み出しているのは「自分」という存在に対する意識のアンバランスさにあると感じました。「これは自分を支配下に置くためだ」と考えるのは、よっぽど自分が「支配」されるのが恐い。「これは自分を馬鹿にするためだ」と考えるのは、よっぽど馬鹿にされるのが恐い。

そのアンバランスさというのは、おそらくは、他者からの指摘で変化するような類いのものではない、と想像する。本人の人格の深いところに根ざしている。本人の価値観とわかちがたく結ばれている。そんな印象を持っています。だから、うっかり他者は踏み込めない。脳や心に土足で入るようなものだから。

多くの場合、他人の指示書を読まない人は不利益をこうむるものです。注意書きを読まない人、マニュアルを読まない人を想像すればわかります。ですから、本人が、気付いて、変わったほうがいいのだろうな、と他人事のように思っています。でも、他者は、ほとんど、何もできない。できるのは、本人だけ。

>指示書を読まない人、読みたがらない人の話。
http://rentwi.textfile.org/?829980130575409152s

2017-02-10 (Fri) 18:07:38