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お受験にせよ、受験戦争にせよ、個々の人に注目する限り「よかった」「必要だった」という声と「ダメだよ」「害悪だよ」というバラバラの意見が出るはず。各人の知見は偏る。そのバラバラさをどうまとめて次につなげるかには、単純ではない知性がいる。多数の声を俯瞰できる人にはその知性を求めたい。

プログラマにはわかってもらえるが、オーダーが変われば世界が変わる。経営者にはわかってもらえるが、スケールが変われば世界が変わる。1, 10, 100, 1000, 10000, ... それぞれでの最適解はまったく異なる。10を扱ってる人に、10000の世界はわからない。

オーダーが変わるとき、スケールが変わるとき、いままで「最適」と思ってたことが「最悪」になるというのはよくあることだ。つまりそれは、比喩的にいうなら、「明日の自分」を生かすために、「昨日の自分」を刺し殺せ!ということ。その役目を負っているのは「今日の自分」にほかならない。

殺すとか、死ぬとかを比喩としてとらえられないと苦しい表現をしていることは自覚している。殺すなんてひどい、息が止まりそう。死ぬなんて言葉は使って欲しくない。だって命はひとつきり。その通り。だからこそ、そのゆえに、意味を持つのです。伝えたい感覚がまさにそれだから。

自分を取り巻く環境が大きく変化していて、自分がたまたまその舵取りをしているとしましょう。世間的に見たら、繁栄・繁盛・成長…というときこそ、リーダーは「死ぬ」(という比喩が適切な状況)に至ることになる。それはメンバーの誰も知り得ないし、共有し得ない境地。

環境が大きく変化したのだから、いままで拠り所にしていた技術・商売相手・ドメイン・エースエンジニア…を見直す。本当の意味で自分たちに必要なものを「死ぬ」思いで考えよう。それがトップの使命ではないか。メンバーの多くが(現状維持を理由に)反対するところで本当にそうか?と疑問符をつける。

全部変えるみたいな思考停止も困る。でも「まあこのままでいっかな」みたいな楽観視も困る。本当の「ゼロベース」で考えられるのは、トップしか居ない。トップが決めればみなが動ける。トップが肚をくくらなければ、誰も動かない。批評家は世界を動かさない。

組織のトップは(本物のトップは)命がけである。トップはほぼ確実に多くの批判を受ける。トップの器の大きさが組織の器の上限である。トップの存在意義は、他者が反対していても決断できるところにある。トップというのは人間で言えば脳にほかならない。脳がバカなら、その人間もバカだ。

脳が決めたことに手足が従わないなら、脳がいくら賢くても人間としては賢くはなれない。手と足が勝手に動いたらどうなるか。

民主的にどうかという話ではなく、組織としての動きの話をしている。のだけれど、またいろいろメールが来そうだな。まあいいや。おしまいおしまい、戯言おしまいおしまい。仕事しなくちゃね!

>集団とリーダーと生き死にと
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2016-10-20 (Thu) 17:48:00