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信仰について語るのは難しいもの、という話。

結城のところには、ときどき結城の信仰に関するメールがやってきます。結城がWebサイトやTwitterなどで信仰の話を書いているからだと思います。「信仰に関するメール」と大ざっぱなくくりにしましたが、内容は非常に多岐にわたっています。9割くらいはていねいなメールです。

よくいただく質問としては「結城さんは数学的なことやプログラミングもよくわかっている理系の方なのに、どうしてキリスト教という宗教を信じているんですか?」というもの。別に結城を糾弾している口調ではなく、純粋な質問としてメールをいただくことがよくあります。

しっかりとお返事することはできなくもないのですが、時間的な余裕も必要ですので、たいていは比喩で語ることになります。説明することが本意ではなく、相手に理解していただくことが本意ですから。結城が神さまを信じているという状況というのは、ちょうど結婚に似ています(比喩)。

好きな人ができる。なぜかわからないけれど、この人に引かれる。自分のちょうど欠けている部分を満たすような何かを持っている。自分の人生にとって、この人は大切な方ではないかと思う。その人のいうことに耳をすます。語られている言葉をよく咀嚼するにつれて、ますますその思いは募る。

もっと長く会っていたいと思う。いろんなことを相手に話し、相手がそれについてどんな感想や意見を持つかを知りたいと思う。触れたいと思う。触れてもらいたいと思う。さびしいときにも、うれしいときにもそばにいてほしいと思う。ときに期待がはずれてめちゃめちゃ腹立たしくなる。

そういった思いは、結婚を考えるほどの相手に対する思いと、結城が聖書の神様に対する思いと、完全に同じではありませんが、似ているものがあります。比喩は比喩ですから、あまり字面通りにとらないでくださいね。先ほどのツイートのような表現は、感情面に重きを置きすぎていますし。

いいたかったのは、どうも私たちは「科学」や「理屈」を通して物事をとらえるのに慣れすぎているということ。でも、私たちが生きていく上で大切なことというのは、必ずしも科学や理屈だけではない……そういう例として、比喩として結婚や恋愛をあげてみたのです。わかりやすい例として、ですね。

それから、科学的な見方といえるのかどうかはわかりませんが、自分を主体とし、研究対象を客体として見る視点に立つことになれすぎているというのもあります。つまり、自分はいつも安全地帯にいて、客観的に判断できる(と思っている)ふしがある。自分が渦の中の当事者である視点の存在を忘れている。

それは「科学」の弊害というよりも、「科学偏重の世界観」の弊害かもしれませんね。恋愛や結婚というのはそれについてもちょうどよい視座を私たちに与えます。つまり、結婚というのは自分が当事者であり、客観的な判断というのがあまり意味を持たない場面になる。

自分は顕微鏡を覗いている科学者だと思っていたのだが、実は顕微鏡で覗かれる側の存在であった驚きというか(これはあまりよくない比喩。愛に欠けているからね)。「科学」と「信仰」を対比させるというのはあまり適切ではないのだと思っています。別次元なのは確かだけれど、対置させるものかどうか。

ここまでの話で、まだぜんぜんキリスト教の入口にもきてないですね。結城のWebサイトのあちこちには結城の考えが書かれている文章があるので、そちらをお読みください。
「祈りの心がけ」 http://www.hyuki.com/pray/ というページとそのページの末尾にあるリンク集など。

結城は信仰の話もふつうにツイートしていますし、Webサイトにも書きます。でも、他の人に対して信仰を強いたりすることはあまりないはずです。少なくとも私はそのような押しつけがましいことはしたくないと思っています。あ、でも、好き勝手にツイートしているので、異論は認めますが(^^;

もしも「私は無神論者です」という人が目の前にいて、しかも結城ときちんとコミュニケートできる状態だとしたら、いろいろ聞きたくなることはあります。あなたが言うその「無神論」というのはどういう論なの?とかですね。それは別に糾弾したいわけではなく、純粋な興味として。

でも、ぶしつけに「あなたが考えるのはまちがっている!」とか「キリスト教を信ぜよ!」と体当たりをすることはたぶんないと思います。少なくとも結城はそうです。だって、それは「結婚」の比喩を考えても不適切だとわかります。

「大切なメッセージは、すべてささやき声で伝えられる」といいます。大切なメッセージ。微妙なメッセージ。相手の心にきちんと届けたいメッセージは、多くの場合、メガホンではなくささやき声で伝えられます。語る側はていねいに、ジェントルに、相手の心をノックする。

そして、相手から信頼を得て、扉を開いてもらってから、ていねいに言葉を選んで、相手に伝わるように話すのが大切です。相手は一人。目の前にいるんですから、メガホンは要りませんし、一般論もいりません。自分が信じていることが何であるかを話し、相手の言葉に耳を傾ける。これがよい態度だと思う。

何をいま連ツイしているかというと、先日ある方(ある方々)から、キリスト教についての質問を受け取ったから、それに対する答えのつもりで書いているのです。

「結婚」は聖書の中にもよく出てくる比喩ですが、結城はこの比喩は非常に適切で的確な比喩だと思っています。意味と表現が融け込むようなすばらしい比喩ですね。というのは、結城自身が信仰を得ることができたのは、ちょうど妻との結婚のタイミングだったから。

彼女はキリスト教を信じる人との結婚を望んでいたけれど、結城はそのときはまだキリスト教を信じていなかった。彼女を愛していたけれど、彼女との結婚を得るために信じるというのは不可能だと考え、悩んでいた。彼女はそのような状況を理解し、それは当然のことだと言った。

しばらく時が過ぎ、紆余曲折の後に私はキリストを信じる信仰を得た。おもしろいことに(?)それは彼女とはまったく違うところから突然にやってきた。人生は不思議に満ちている。そして結城は無事に彼女と結婚できた。それが現在の妻である。世界最高の女性。

いやいや、のろけ話ではない。私が書きたかったのは、科学や理学や理屈の世界とはまた違う世界がちゃんとあるのだということ。自分が当事者である世界。とても柔らかで繊細で一般論が通用しない世界。自明なようで自明でない。離散位相と密着位相のような不思議な世界。

結婚でも信仰でもいいけれど、結城が好きな表現はこういうのです。自分がたった一人ではだかんぼで、コンピュータもiPhoneもない状態で空間に放り出されて、虚空から声が聞こえる。《あなたが一番大切にしているものは何か》とか《あなたが信じていることは何か》とか。そういう質問。

結婚ってそれに近いと思うんですよ。「わたしはこの人と結婚するの?するべきなの?してもいいの?」という質問はいくら検索しても答えがやってこない。何十年来の友人にたずねても答えはやってこない。だってそれは《わたし》への問いかけだから。だってそれは《あなた》への問いかけだから。

そういう、たいへん個人的な、個別的な問いかけに対しては「科学」は無力です。でしょ?Google先生に「私はこの人と結婚していいの?」と聞くわけにはいかない。それは科学ではない。技術でもない。それ以外の何かです。そしてそれは確かに存在する何か。

キリスト教を信じたから、すべてに答えが与えられるわけではありません。それは当たり前のことです。キリスト教はキリスト教の教えを提示する。人生における重要な概念を提示する。キリストを信じる人はそれらを理解し、少なくとも暫定的には理解し、自分の心で味わったり体験したり悩んだりする。

でも一ついえそうなことは、自分がキリスト教を「調べてやろう」とか「暴いてやろう」とか「研究してやろう」という態度だと、一番すてきなところに近づくのは難しいだろう。そんなふうには直観的に思います。そういう態度をいちがいに批判するわけではありませんけれど。

それは、お見合いしている相手やデートしている相手に対して「お前を調べ上げてやろう。お前の悪いところをあばいてやろう」という態度を想像すればよくわかります。批判するなというわけではない。デートの相手が不作法なことをしたら苦情をいうのは当然だけど、最初っから「調べてやろう」はない。

以上つれづれなるままに「信仰」について話してきたけれど、たいていこういう連ツイをした後は、メールボックスに変なメールが来るんですよね(あ、でも前回はそうでもなかったな)。まあ、それはいいです。慣れてますから。二十数年もネット活動しているので、慣れてますから…

結城の連ツイを読んで聖書のことや教会について知りたいと思った方は、以下のページをどうぞ。聖書や教会を選ぶ簡単なガイドを用意しています。キリスト教を謳っているあやしいところもありますのでご注意。

聖書を読みたい・教会へ行きたい
http://www.hyuki.com/church/

もっと直接的に、私は信仰を得たい!と思っている方がいらっしゃいましたら、以下のページをゆっくりとお読みください。途中に出てくる「キリストを受け入れる祈り」を心から信じて祈ることができたなら、あなたはすでにクリスチャンです。
http://www.hyuki.com/four/laws.html

以上、今回の連ツイは、以下のURLにまとまります。
http://rentwi.textfile.org/?714372631575662594s
キリスト教の香りが強いので、結城メルマガには(たぶん)載らないかな。

あなたのために、祈ります
http://www.hyuki.com/pray/

孤独な感じがする。やり場のない恨み言、怒りがわいてくる。理性ではわかっているのだが、心情的に納得できないことがある。「あなたのために、祈ります」は、そんな感じをいだいているあなたのためのページです。

2016-03-28 (Mon) 17:44:42