つてつちさんがおっしゃっているのは、ものすごくものすごく大切なことだと思います。
https://twitter.com/tutetuti/status/1616319596671434753
結城がつねづね考えているのは、「わからない」からの展開先。ある人が「わからない」と言った後、まわりの人が怒るのは論外としても、答えをすぐに言うのではなくて、わからない本人が言語化を試みようとするのはとても大事。つてつちさんがおっしゃるように「何がどうわからないのか」といった表現。
わからないこと自体を表現するのも大切だし、自分がどういうふうにわからないのかという自分の状態を表現するのも大切。ここで気に掛けたいのは、自分の状態を表現する語彙をあまり持たない人が存在するということ。語彙がないので「わからないからわからない」になってしまう。
先生側がわからないでいるときに自分のわからない状態を表現する様子を、生徒側が見ることで、その「自分のわからない状態を表現する語彙」を増やせる可能性があるかもしれない。
例1「ここまではわかっている。ここからがわからない」
例2「論理展開はわかるけれど、それを追う意義がわからない」
例3「さっき確かめたあれと、いま確かめたこれが矛盾している主張のようにみえてしまう」
例4「よく知られている事実に反しているように感じる」
例5「これでwell-definedなのか?」
そこに集っている人たちがそれぞれの頭の中に構築している構造物があって、互いにそれを何らかの方法で「ゆびさしながら」話し合っているイメージ。建築物の「ここのネジが緩んでないか」とか、「あっちの柱が長すぎないか」のように。