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結城浩のメールマガジンは、2012年に開始しましたので、来年の4月で丸10年(!)になります。継続的な応援をありがとうございます😊

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先日、調べ物の関係で昔の記事を読んでたんですが、なかなか面白かったです。自分の関心事(文章を書くことや、教えること、学ぶことなど)は十年でもほとんど変わってませんね。文章のトーンも大きくは違わないみたい。でも内容の方は若干の深化というか、明確になってきているところもありました。

結城メルマガを書いたり、Web連載を書いたり、本を書いたり、ちょっとしたプログラムを書いたりと、いろんな活動をしてはいますが、それらはあくまで自分の外部へ向けた発表の各側面であって、私の内部には一人の私がいるんだなあと思った次第です。

別の言い方をするならば、外部へ向けてどんな発表形式を取ろうとも、どんな活動をしようとも、私は私なのだなあとも感じました。それはちょっと気持ちが楽になる感覚です。

二十代、特に大学時代は、自分とは何によって特徴づけられるのかということをたいへん悩んでいたものでした。自分は何者か。きっとそういう気持ちは現代の十代二十代の多くの人が感じるものだと思います。普遍的な悩み(当時の自分はそうとは思えなかったけど)。

でも、それから何十年も過ぎて思うことは、何をしても、何をしなくても、何ができても、何ができなくても、私は私なのだなあという感慨です。「良くも悪くも」というとひとつの次元で評価することになっちゃうから避けますが、どうやら「私は私」ということらしいです。

そしてそこにはニュートラルな安心感があります。もちろんその根底には自分はクリスチャンであるという自己認識はおおいに影響していると思います。原点といくつかの基底が与えられているので自分の位置をある程度まではつかめる。そういう感覚です。

二十代の自分の悩みが無意味だったとはまったく思いません。でも、何十年も立って振り返ってみると、当時の私に見えているものは確かにあったけれど、見えていないものもたくさんあったのだなあとつくづく思います。

そして各年代には各年代の大小さまざまな悩みごとや課題があるのもよくわかります。現在の私にもあります。でも、歳を重ねてありがたいと思うことは、過去の自分を振り返って「当時はこう思ったけれど、振り返ればそれは一面的だった」という経験をたくさん重ねることです。

つまり、現在の自分に対して同じことを適用し、「現在はこう思っているけれど、あとで振り返れば、これもきっと一面的なのだろう」と思えるという意味です。

すべてが自分にわかるとは思えませんが、少なくとも現在の認識がすべてではない。それは確信を持っていえます。

「現在の自分の認識がすべてではない」というのは、「自分にはすべてを認識できる力はない」ともいえます。自分の能力不足、それが自分に安心を与えてくれる。そんな、やや逆説的なことを思うこともありますね。

以上、結城メルマガの宣伝をするつもりの連ツイだったのに、ぜんぜん違う方向に話が進んでしまいました。

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>「結城メルマガもうすぐ十年」+「私は私」
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2021-10-10 (Sun) 06:48:12