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人を呪い殺すための最高の恨み節は「あなたに神さまの報いがありますように」だと思う。報いというのは(良くも悪くも)当人の行いに対する神さまの判定。

ポイントはどこにあるかというと、自分が相手に恨みを晴らそうとしない点。神さまに適切な判定を委ねる。これだけで、あなた自身は恨みから解放される(あなたへのメリット)。相手が悪なら神から裁きが下る(相手への最大の復讐)。

新約聖書12章より。
愛する人たち。自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい。それは、こう書いてあるからです。「復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする、と主は言われる。」

新約聖書12章より。
もしあなたの敵が飢えたなら、彼に食べさせなさい。渇いたなら、飲ませなさい。そうすることによって、あなたは彼の頭に燃える炭火を積むことになるのです。悪に負けてはいけません。かえって、善をもって悪に打ち勝ちなさい。

憎らしい相手に復讐したいなら、相手を愛することが最善である。相手の幸福を祈ること、相手のために祈り続けることが最高の復讐である。

そのときにはじめて、相手の恨みという呪いから自分が解放されるから。そしてそのとき、相手には人知を超えた復讐が落ちるから。

誰かを憎むというのは、その人とセックスするようなものです。どこまでも付き合う。どこまでもくっついていく。相手に苦しみを与えるなら私はなんだってする。感覚をどこまでも共にする。それが憎しみ。

ほんとに、ほんとうに相手を呪い殺したいなら、相手を祝福するのがベストだ。そのときはじめて、あなたと相手の恨みの関係が切れるから。

次の一歩はクリスチャン向けの話だけど、そのような神の裁きへの信頼が、あなたを自由にする。

恨みは、あなたを殺します。あなたの人生を腐らせます。だから、人を恨むにはよっぽどの覚悟がいる。その意味でセックスと一緒だと言っている。

多くの人が、恨みを抱いている。誰かを恨んでいる。そしてこわいことには、その恨んだ相手が死んだ後も、恨み続けている。相手が死んだから恨みは消えてさっぱりした!なんて人は知らない。何度も何度もあいつのことを思い返し思い返し恨み続ける。あいつがいなかったら、あいつさえいなかったら…

それはまるで、人を恨むことで自分の中にあいつを取り込んだみたい。自分が生きている間ずっとどつき続けられるわら人形のように。世の中には、わら人形とセックスしたい人がとても多いらしい。

私は、人を恨むことが嫌いだ。恨みたくなる相手は憎らしいから、神の裁きに任せる。委ねる。そして私は、その火の粉を浴びないように、その人の祝福を祈ろう。本気で、祈ろう。そこからの裁きは、神様とその人の問題だ。わたしの手からは離れている。

人が、神の座につこうとするのは間違っている。人間が全知全能の神にかわろうとするのは間違いだ。だから「ここから先は、わたしの領分ではありません」という宣言が大事なのだ。わたしは毎日そればっかりやってる。

まとめます。誰かを恨みたかったら、その人の祝福を祈れ。それが最大の復讐である。以上。

新約聖書ローマ人への手紙12章より。
愛する人たち。自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい。それは、こう書いてあるからです。「復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする、と主は言われる。」

連ツイはこちら。これは結城メルマガにはまとまらないなあ。(結城メルマガではあまり信仰的な話はしないことにしているため)
http://rentwi.textfile.org/?787224404635717632s

2016-10-15 (Sat) 18:31:38